DF 渡辺 広大とは?【ザスパクサツ群馬 選手紹介】

選手紹介

【移籍決定】 渡辺広大は2022年12月23日にVONDS市原FCへの移籍が発表されました。地元千葉県のクラブで戦う渡辺広大を引き続き、応援していきましょう。

この記事では2019-2022年までザスパクサツ群馬に在籍した、渡辺広大について、プレーの特徴、過去の経歴、注目ポイントなどについて紹介します。

この記事を読むことで、試合中に渡辺広大のどういうプレーに注目すると、より観戦を楽しむことができるかを理解できます。また、渡辺広大が過去にどこのチームで、どんな選手たちと共にプレーをして、どんな活躍をしてきたかを理解することで、より選手に感情移入しながら応援を楽しめるようになります。

渡辺広大はどんな選手か?

渡辺広大は2019-2022までザスパクサツ群馬に在籍したDFの選手です。対人戦の強さと経験豊富なカバーリングが持ち味で、主にセンターバックとしてプレーします。ベガルタ仙台およびモンテディオ山形在籍時代に累計6シーズンJ1でプレーした経験値はザスパクサツ群馬選手陣の中では、頭1つ抜けていました。

J3時代の2019年シーズンにレンタル移籍で当時J3だったザスパクサツ群馬に加入すると、DFラインの主軸とし全試合に出場しチームをJ2昇格に導きます。2020年から完全移籍に移行し、キャプテンに就任。2021-2022年も副将としてチームを支え続けました。2022年シーズンは怪我の影響から9試合の出場に留まり契約満了。サポーターから惜しまれつつも退団した、ザスパクサツ群馬の功労者です。

渡辺広大の経歴

千葉県出身で、高校時代は地元の名門、市立船橋高校でプレー。2年生時からCBのスタメンとして活躍し、3年生時には主将を務めています。ちなみにこの時代の市立船橋高校の1学年上の先輩には増嶋竜也、カレンロバートといった後にJリーガーとなる選手が多数在籍していました。増嶋竜也とCBのコンビを組んでいたんですね。

高校卒業後は2005年から当時J2のベガルタ仙台に入団します。べカルタでは2014年まで10年間在籍し、後半の5年間はJ1でプレーしていた経験を有します。10年間、熾烈なポジション争いから安定した出場機会を得ることに苦戦するシーズンもありましたが、2009年シーズンは主力メンバーとしてJ2優勝&J1昇格に貢献しました。2009年から2014年まで選手会長を務めるなど、チームの精神的な柱としての存在感は、この頃から健在でした。

その後2015-2016年はモンテディオ山形、2017-2018年はレノファ山口でプレーします。山形では加入初年度から副将を、山口でもやはり加入初年度から副将を任されるなど、高校時代から一貫してどのチームでも高いキャプテンシーを評価されてきました。

渡辺広大のプレースタイルと強み

渡辺広大の特徴は、守備時における対人戦の強さにあります。ハイボールへ対処する高さと、ガツガツ戦える1対1の守備の粘り強さが持ち味です。またレノファ山口在籍時に3バックのリベロを経験したことで、カバーリングの読みも研ぎ澄まされ、DFとしてのプレースタイルの幅をさらに広げています。

さらに渡辺広大の注目すべきポイントとしては、高いキャプテンシーとムードメーカーとしての存在感です。高校時代からプロ入り後の各チームで、主将・副将・選手会長などのポストを任せれてきました。選手としての実力は勿論、リーダーシップも高い評価を得てきた証だと思います。ファンサービスにも熱心で、ザスパクサツ群馬ではシーズン開始前の合宿地からインスタライブイベントを開催。練習後の疲れが溜まっている夜の時間にも関わらず、元気なトークでチームメートを紹介してファンを盛り上げてくれました。チームメートとのやり取りをみていても気取らない性格と後輩への思いやりに溢れていて、良い兄貴分として慕われているのが伝わってきます。

2022年10月29日に開催されたファン感謝祭イベントは既に退団が決まっていた渡辺広大を目にする最後の機会として、サポーターからも注目が集まりました。メインステージでのトークショーはMCを務めて場を温め、大トリの若手選手が女装して踊るキツネダンスショーにも何故かベテランの渡辺広大が飛び入り参加。最後までファンを楽しませます。そしてサポーターに向けた最後の挨拶では、「このクラブは、皆さんのクラブです」「クラブは心です」という渡辺広大らしいサポーターへの愛に満ち溢れた言葉を残し、クラブを去りました。

渡辺広大の注目ポイント

渡辺広大はムードメーカーやキャプテンシーなどに注目が集まりがちですが他にも特筆すべきポイントがあります。市立船橋高校時代に日本サッカー史上最大のジャイアントキリングを演じた(正確には演じかけた)レジェンドチームの一員として、サッカーファン界隈では認知されています。

その伝説の舞台となったのが2003年第83回天皇杯。千葉県代表チームとして出場した市立船橋高校は1回戦でなんと我らがザスパ草津と対戦し、1-0のスコアで勝利を収めています。この当時から渡辺広大とザスパに接点があったことに驚きですね。当時のザスパは関東リーグ2部優勝→翌2004年からJFL参入が決まっており、元日本代表GK小島や元鹿島の奥野、サントスを擁する高校生チームからしたら明らかな格上チームでしたが、ジャイアントキリングに成功しています。続く2回戦も格上となる阪南大学相手に、渡辺広大自身のゴールによって1-0で勝利します。

そして迎えた2003年12月14日天皇杯3回戦。サッカーファンに語り継がれる伝説の試合、「市立船橋高校×横浜F・マリノス」が始まります。岡田武史監督率いる横浜F・マリノスは中澤、松田、久保、奥といった日本代表経験者が名を連ね圧倒的強さでJ1完全優勝を果たした絶対王者です。この試合も下馬評通り、横浜F・マリノスが前半早々に2点を決めて試合を決めにいきます。しかし0-2で折り返した後半から市立船橋高校が攻勢に出ると、後半20分に増嶋、後半39分にカレンの突破から田中がゴールを決めて2-2の降り出しにゲームを戻します。直後の後半40分に市立船橋高校が1人退場者を出して絶体絶命の危機に追い込まれますが、それでも10人の高校生は11人のJ1王者から延長戦30分間を無失点で死守しPK戦までもつれこみます。結局PK戦でこそ4-1で敗れはしましたがスタンドからは市立船橋高校イレブンに拍手喝采。J1王者を極限まで追い詰めたそのインパクトから「高校サッカー界の最高到達点」などと謳われた伝説の試合で、DFラインを主将の増嶋と共に守っていた男こそ、当時2年生の渡辺広大その人だったのです。選手の過去のキャリアやルーツを知ることで、スタジアムに足を運んでザスパの試合を観戦することの意義や楽しさがより一層広がりますね。

渡辺広大は2022年シーズンを持ってザスパクサツ群馬を退団しましたが、新天地でも変わらぬ活躍を期待したいです。そしていつの日かレジェンドとして、ザスパクサツ群馬に帰って来てくれることを切に願いたいと思います。

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