DF 畑尾 大翔とは?【ザスパクサツ群馬 選手紹介】

選手紹介

【移籍決定】畑尾大翔は2023年12月26日にツエーゲン金沢への完全移籍が発表されました。畑尾大翔の新天地での活躍を引き続き応援しましょう!

この記事では2021年よりザスパクサツ群馬に在籍する畑尾大翔について、プレーの特徴、過去の経歴、注目ポイントなどについて紹介します。

この記事を読むことで、試合中に畑尾大翔のどういうプレーに注目すると、より観戦を楽しむことができるかを理解できます。また、畑尾大翔が過去にどこのチームで、どんな選手たちと共にプレーをして、どんな活躍をしてきたかを理解することで、より選手に感情移入しながら応援を楽しめるようになります。

畑尾大翔はどんな選手か?

畑尾大翔は2021年からザスパクサツ群馬に加入したDFの選手です。183cm79kgの体格を駆使した対人守備の強さ、打点の高いヘディングによる空中戦、クレバーなプレーとディフェンスラインの統率力に強みを持つ選手で主にCBでプレーします。2021年は38試合出場3得点、2022年は37試合出場2得点の実績を残しており、今後もザスパクサツ群馬守備陣を中心選手として引っ張る存在として期待される選手です。

畑尾大翔の経歴

畑尾大翔は東京都練馬区出身です。幼稚園からサッカーをはじめ、小学1~4年時はジュニアコスモス城北、小学5~6年時は三菱養和巣鴨スポーツスクール、中学時代は三菱養和SC巣鴨サッカークラブでプレーしていました。小学校時代からプロサッカー選手になることを目指していたそうです。

中学卒業後はFC東京U18へ加入します。両親とも相談し、プロを目指す上でJリーグの下部組織に入団する方がベターだろうとのことからの決断でした。この時のチームメートには、同学年に三田啓貴、2年下の後輩に武藤嘉紀が在籍していました。畑尾大翔は打点の高いヘディングを武器に高校2年時にはCBのレギュラーに定着します。そして高校3年時にはキャプテンとして個性派集団のチームをまとめ上げ、日本クラブユースサッカー選手権(U18)大会で優勝を果たします。本人にとってもこの優勝経験は大きな自信になったそうです。

高校卒業後はFC東京トップチームへの昇格は叶わず、2009年に早稲田大学へと進学します。プロサッカー選手を目指すラストチャンスと位置づけた早稲田大学ア式蹴球部では1年目から試合出場のチャンスを掴み活躍します。空中戦と対人プレーの強さを発揮し3年時までは順調に出場機会を重ね、4年時には主将に就任します。しかし4年時の春に肺の塞栓症を患ってしまいます。当初は肺の水を抜いてプレーを続け、リーグベストイレブンに選出されるなど活躍しますが、病状の進行もあり大学生活最後の全日本大学選手権(インカレ)への出場は叶わず。欠場した畑尾主将のためにという強い思いでチームメートが奮起した早稲田大学は5年振りのインカレ優勝を果たしますが、畑尾大翔自身は優勝の瞬間をベンチで見守ることとなり、ここからさらに苦しい闘病生活が続きます。5年生として早稲田大学に残った畑尾大翔は、プロ入り断念の可能性も含めて進路を模索し続けます。夏にはようやく病気を治せる可能性に目処がつき、手術に成功。そこから復帰に向けた懸命なリハビリを続けます。

2014年3月には早稲田大学を卒業し、プロ契約を懸けて当時J1のヴァンフォーレ甲府に練習参加します。即日契約とはならなかったものの、しっかりとアピールに成功し2014年7月からのヴァンフォーレ甲府加入が正式発表されます。当時の甲府は怪我人の影響でDF陣が手薄となっていたため、畑尾大翔は控えストッパーの1番手として城福監督から重宝され2014年は5試合出場0得点の実績を残します。2年目の2015年には副キャプテンを努め、甲府のレジェンドである山本英臣の後継者として期待されます。しかしヴァンフォーレ甲府の守備陣にはその山本英臣の他、佐々木翔、土屋征夫、津田琢磨、など往年の名選手が在籍しており、スタメンを勝ち取り続けるのは困難でした。2015年15試合出場0得点、2016年15試合出場0得点、2017年14試合出場1得点と、一定の出場機会を得てチームに貢献してきましたが、安定してスタメンを確保するまでには至りませんでした。

2018年には同じくJ1の名古屋グランパスに移籍加入します。しかし、3試合出場0得点と出場機会を得られず同年7月にJ2大宮アルディージャへの期限付き移籍が発表されます。舞台をJ2に移し2018年7月から加入した大宮では15試合0得点の実績を残し、翌年からは完全移籍に移行して大宮アルディージャでのプレーを続行します。この頃の大宮アルディージャには、早稲田大学時代に畑尾大翔の同期だった富山貴光や、1学年先輩だった奥井諒などが在籍していました。また、大宮のエースだった大前元紀とは、後にザスパクサツ群馬でもチームメートとしてプレーすることになります。畑尾大翔自身はは2019年23試合出場2得点、2020年30試合出場2得点と中心選手として大宮で活躍しました。

そして2021年よりザスパクサツ群馬へ完全移籍での加入が発表されます。加入会見の席で、移籍の決断をした経緯を質問された畑尾大翔は、大宮時代にもチームメートだった大前元紀から「この人は強化部の人なんじゃないかと思うくらい」熱烈な誘いを受けて、移籍を決めたことを語っています。

畑尾大翔のプレースタイルと強み

畑尾大翔のプレースタイルにおける特筆すべき点は、強靭なフィジカルを生かした対人プレーの強さと、打点の高いヘディングによる空中戦の強さとなります。高校年代の時からU17日本代表候補に選出される程の高い評価を得てきたエアバトルの強さで、相手の中央突破を跳ね返し続ける姿はとても頼もしく、迫力があります。さらに守備面のみならず攻撃面においてもセットプレーの制空権を制することができ、チームの得点源として期待が掛かります。2019年~2022年までの4年間は、CBながら毎年2~3点ずつコンスタントにゴールを決め続けており、今後もザスパクサツ群馬のセットプレー時には、畑尾大翔の迫力あるヘディングゴールに注目して応援したいところです。

また、豊富な経験値に裏打ちされた読みの鋭さと統率力も畑尾大翔の強みとするところです。J1で4年半、J2で4年半のキャリアを積んでいる経験値はザスパクサツ群馬守備陣の中では頭一つ抜けており、ディフェンスリーダーとしてチームのピンチを幾度となく救ってきました。もともと10代の頃から、相手の先を読むディフェンスやラインコントロール、さらにビルドアップのパス精度も兼ね備えたクレバーなDFとして評価が高く、そこにプロでの実績と経験値が積み重なっていますので、まさに心技体を兼ね備えた万能型DFといえるでしょう。

畑尾大翔の注目ポイント

畑尾大翔は、非常に強いリーダーシップマインドを持つ選手です。FC東京U18や早稲田大学では常に主将を務めてきた経験があり、責任感の強さとキャプテンシーは畑尾大翔の持ち味といえるでしょう。早稲田大学時代の後輩たちからも「今までサッカーをやってきた中であれだけ熱い、チームのために行動できるキャプテンはいなかった」と常に慕われていたことからも、その志の高さが感じられますね。

また、大学時代の闘病生活を克服してプロ入りを勝ち取った奇跡は、畑尾大翔を語る上で欠かせないエピソードです。大学4年の春から発病し翌年夏に手術、その後の復帰までのリハビリも含めれば約2年間はサッカーの実戦から遠ざかって、病と戦っていたことになります。その間チームは4年生最後の全国大会を優勝で飾り、同期の何名かはプロ入りしていく姿を横目にみながら大学5年目まで在学して闘病生活を続けることは、非常にタフな精神状況だったことが想像されます。しかし本人曰く、プロサッカー選手の目標を諦めたことは一度もなかったと後に語っています。「主治医の先生とか、お世話になった方々、コーチングスタッフ、サッカー仲間もそうですけど、そういう人たちがいて、僕がいまこうしていると思うので、そういう人たちのためにも簡単に諦めるわけにはいかないと思いました。だからたとえ病気になっても、簡単に諦めるという選択にはならなかったですし、元々諦めが悪い性格というのもありますが、諦めるという選択肢がなかったです。」とのコメントからも、畑尾大翔の精神力の強さを感じずにはいられません。畑尾大翔は、この経験を「他の選手が経験をしていない自分だけの強み」と捉え、世の中に伝えていくことが使命であり、支えてくれた皆さんへの恩返しになると考え、プロサッカー選手としての活動の傍ら、社会貢献活動にも積極的に携わっています。一般社団法人PiiS Flyを設立し、小児科病棟や特別支援学校、放課後デイサービス等への訪問による子ども達との交流活動を取り組んでいます。また株式会社PiiS Roadを設立し、埼玉県内に開所した障害者就労継続支援B型事業所「PiiS Plaza さいたま」で、障害者の就労機会を作り自立させる取り組みを行っています。

自身の闘病生活を「辛かった経験」で終わらせずに、「周りの方への感謝や恩返し」に還元していく姿勢と実行力は、サッカー選手の枠を超えた1人の社会人として素晴らしいパーソナリティですし、チームメートや周りの人間から信頼が集まる理由がよくわかりますね。今後も畑尾大翔のピッチ外での活動にも注目しつつ、ディフェンスリーダーとしてのさらなる飛躍を応援していきましょう!

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