この記事では2020年よりザスパクサツ群馬に在籍する天笠泰輝について、プレーの特徴、過去の経歴、注目ポイントなどについて紹介します。
この記事を読むことで、試合中に天笠泰輝のどういうプレーに注目すると、より観戦を楽しむことができるかを理解できます。また、天笠泰輝が過去にどこのチームで、どんな選手たちと共にプレーをして、どんな活躍をしてきたかを理解することで、より選手に感情移入しながら応援を楽しめるようになります。
天笠泰輝はどんな選手か?
天笠泰輝は2020年からザスパクサツ群馬に加入したMFの選手です。精度の高いパスと、足元の技術に優れた左利きの選手です。
2021年は2試合出場0得点、2022年は25試合出場1得点と、着実に出場機会を増やしている、地元群馬県出身の選手です。
天笠泰輝の経歴
天笠泰輝は小学5年生時から地元の太田南FCでプレーしていました。小中学生時代は父親である太さんからのサポート方針として「練習環境・競争相手・指導者」の3つを重視して地元の強豪クラブへの進路を選択していました。太田南FCの石井正実監督からはボランチとしての資質を見出され、相手の狙いを予測してボールを奪う動きや、相手をドリブルで誘い出してからパスを出すための動作について徹底的に指導を受けていたといいます。父親の太さんからはベースとしての走力の大切さを指導され、小学1年時から陸上競技にも取り組み、県内の駅伝やマラソン大会でも好成績を残していたそうです。
中学時代は前橋FCジュニアユースでプレーします。元Jリーガーの湯浅英明監督の指導を受けて、左足のキック力とドリブルに磨きをかけていきます。中学時代に天笠泰輝がお手本にしていたのは同じ左利きの中村俊輔選手で、YouTubeにアップされていた俊輔選手の動画はほとんど見て蹴り方を調べて真似して蹴っていたそうです。
高校進学時には鹿島アントラーズユースや大宮アルディージャユース、前橋育英高校など多くのチームから声を掛けられる中、青森山田高校へ進学します。天笠選手は幼少時から高校サッカーに対する憧れを抱いており、柴崎岳選手が活躍していた当時の青森山田高校を観て興奮を示していたそうです。また、地元の前橋育英高校に勝ちたいというモチベーションも、青森山田への進学を後押ししたといいます。
その青森山田高校では160名を超える部員の中にあって、1年生の夏からインターハイに出場。2回戦の立正大淞南戦では2ゴールをマークします。優勝した全国高校選手権決勝戦にも出場機会は無かったものの、1年生ながら決勝戦では堂々のベンチ入りを果たします。ここまでは順調に活躍していましたが、2年生時は度重なる怪我に泣かされ試練の時を迎えます。4月に右足首負傷で2ヶ月離脱、6月に復帰した直後、今度は7月に右膝の内側側副靭帯を伸ばしてしまいそこから4カ月の離脱を強いられます。「このまま終わってしまうんじゃないか」と失意の中で、支えになってくれたのは1学年上の先輩だった郷家友太(卒業後ヴィッセル神戸加入→2023年ベガルタ仙台に移籍)だったそうです。寮でも同部屋だった先輩に涙を見せることもあったそうですが、「お前ならできる」と常に心の支えになってくれたそうです。そして3年生時、本来の輝きを取り戻した天笠泰輝は4-2-3-1のボランチの主軸としてチームを牽引し、全国高校選手権優勝を果たします。
青森山田高校卒業後は関西大学に進学します。「大学4年間で誰よりも努力して、大学ナンバーワンボランチになってプロになるという目標を達成してから、世界で認められるサッカー選手になるという夢に向かいたい」と当時コメントを残しています。大学入学後も1年生時からスタメンで活躍し続けますが、2年生時の2020年に関西大学を中退し、地元のザスパクサツ群馬への加入が発表されます。
ザスパクサツ群馬では加入初年度となる2020年は出場なし。2021年もリーグ戦出場2試合とチャンスがなかなか回ってこない日々が続きましたが、2022年に大槻監督が就任すると左サイドMFとして出場機会が増加。25試合1得点と上々のパフォーマンスで、チームのJ2残留に貢献しています。
天笠泰輝のプレースタイルと強み
天笠泰輝のプレースタイルは、足元の技術と精度の高いパスを駆使した技巧派のボランチです。中盤の底からのゲームメークセンスに長けており、中距離以上の長い距離でも正確なスルーパスを味方に通すことが可能です。また、ザスパクサツ群馬ではチーム事情から左サイドのMFで起用されることも多いですが、サイドからのクロスボールでチャンスを演出したり、タッチライン際の上下動を繰り返して攻守両面でチームに貢献できる運動量も備えています。
また、名門青森山田高校の全国高校サッカー選手権優勝(それだけでも凄いことですが)における、影の立役者と謳われる高いポテンシャルにも注目が集まります。当時の青森山田高校同期メンバーでは檀崎竜孔(コンサドーレ札幌内定)、三國ケネディエブス(アビスパ福岡内定)というプロ入り内定選手2人に注目が集まっていましたが、サッカーファンの間では天笠泰輝を影のMVPに推す声は少なくありませんでした。青森山田高校の黒田剛監督も「あいつがいなかったら優勝できなかったかもしれない」と言うほど、その実力を高く評価しています。また、元日本代表の西大伍(当時ヴィッセル神戸所属)が当時Twitterで「え、青森山田の天笠くんどこも取らないの」とツイートしたことも大きな話題を呼びました。そして青森山田高校時代に天笠を支え続けた先輩の郷家友太は「僕の中で一番プロに近い存在だと思っていた」と後輩の才能に太鼓判を押します。当時から周りやプロ選手も認めるセンスとテクニックを誇っていた天笠泰輝の、今後のより一層の飛躍に期待したいですね。
天笠泰輝の注目ポイント
天笠泰輝の注目すべきポイントは、地元群馬県出身の選手であることと言えるでしょう。中学時代まで群馬県で過ごした後、高校大学時代に一度群馬を離れますが、念願だったプロサッカー選手への扉を地元凱旋という形で果たします。大学を2年生で中退してザスパクサツ群馬に加入した経緯からも、プロ入りに対する並々ならぬ思いと覚悟を感じさせますね。
地元群馬では常にサッカーエリートとしてキャリアを積んできた天笠泰輝も、青森山田高校時代には非常に厳しい経験を積むことになり、大学中退など紆余曲折を経てようやくプロサッカー選手への道を掴んでいます。高卒プロ入りした同期と比べると回り道にも見えますが、結果的にはこの経験値が、現在の天笠泰輝の強靭なメンタルを形作っているといえるでしょう。
高校2年生の大怪我を乗り越え、ようやく主力メンバーで望んだ高校3年生時。4-1-4-1のアンカーポジションを任される天笠泰輝でしたが、守備面での動き方などで課題が露呈し、黒田剛監督からも「過去最低のボランチだ」と厳しく指導されます。怪我開けの影響もあってかコンディションもトップフォームまで上向かないまま、夏頃までこの課題に苦しめられます。結果的にJリーグのクラブから天笠泰輝に声は掛からず、大学進学に方針を転換しますが、さらにショックなニュースが追い討ちをかけます。5月に練習会に参加した法政大学から不合格の通知を受けてしまうのです。この時の心境を本人は「高卒プロなんて絶対に無理じゃないかと。本当にショックだった」「不合格の通知を聞いた直後は1人雨の中、学校のグラウンドを泣きながら走っていた」「法政大に落ちたことは恥ずかしくて最初は親に言えなかったくらいです」と振り返っています。
何とか関西大学への進路は決まったものの、今一度守備面での課題を修正し、良い守備から良い攻撃へのスイッチを入れられる選手を目指し、最後の選手権に向けたチャレンジを続けます(ここでも既にプロ選手になっていた郷家友太が相談に乗ってくれたそうです)。高校3年夏以降の天笠泰輝の成長には黒田監督も「天笠はクレバーな選手で、努力家でもあるし真面目な選手で、言った事をきちんと理解しようとする柔軟性と素直さがあった。だからこそ、どんどん守備力も上がっていったし、フィジカルも相当強くなっていったんです。何より決してさぼることなく、常に追いかけ回せる体力とメンタリティーが身に付いて、急激に伸びていった」と高い評価を惜しみません。結果的に青森山田高校を全国高校サッカー選手権優勝に導くわけですが、その裏で経験した悔しさ、挫折、自身の課題に向き合う力、課題修正能力と努力の積み重ねは、プロとなった今も天笠泰輝の強さの原動力といえるでしょう。
華麗なテクニックやパスセンスに注目が集まりがちな選手ですが、守備面での粘り強さや不屈の精神力にも注目して、今後の天笠泰輝を応援していきたいですね。