MF 田部井 悠とは?【ザスパクサツ群馬 選手紹介】

選手紹介

【移籍決定】田部井悠は2024年1月7日にレイラック滋賀FCへの完全移籍が発表されました。田部井悠の新天地での活躍を引き続き応援しましょう!

この記事では2022年よりザスパクサツ群馬に在籍する田部井悠について、プレーの特徴、過去の経歴、注目ポイントなどについて紹介します。

この記事を読むことで、試合中に田部井悠のどういうプレーに注目すると、より観戦を楽しむことができるかを理解できます。また、田部井悠が過去にどこのチームで、どんな選手たちと共にプレーをして、どんな活躍をしてきたかを理解することで、より選手に感情移入しながら応援を楽しめるようになります。

田部井悠はどんな選手か?

田部井悠は2022年から早稲田大学からザスパクサツ群馬に加入したMFの選手です。豊富な運動量、鋭いドリブル突破、攻守におけるハードワークと献身性が持ち味の選手で、大学時代は主に右サイドハーフでプレーしていました。

加入初年度の2022年はJ2リーグ戦での試合出場はありませんでした。天皇杯4回戦サンフレッチェ広島戦で79分からの途中出場が唯一の公式戦出場となりますが、群馬県出身で将来性豊かな若手のホープとしてファンからの期待値が非常に高い選手です。

田部井悠の経歴

田部井悠は群馬県出身で、前橋FCから2015年に前橋育英高校に進学します。前橋育成高校は全国高校選手権出場24回、全国高校総体(インターハイ)出場17回を誇る、群馬県を代表するサッカー強豪校です。1982年より40年指揮を執り続ける山田耕介監督の指導を受けた卒業生には、1998年W杯日本代表の山口素弘や2002年W杯日本代表の松田直樹などがいます。これまで100人以上のプロサッカー選手を輩出しており、細貝萌(2021年よりザスパクサツ群馬に在籍)もその一人です。そんなサッカーの名門高で、田部井悠は2年生時の2016年に全国高校選手権で準優勝、翌2017年には副将を務め全国高校総体ベスト4、プリンス関東リーグ優勝、全国高校選手権では優勝を達成します。

前橋育英高校卒業後は、早稲田大学に進学します。こちらも多数のプロサッカー選手を輩出している有名校ですが、ザスパクサツ群馬に所縁のある卒業生として奥野僚右(2002-2003年に選手兼任監督、2020-2021年にも監督としてザスパクサツ群馬に在籍)や、畑尾大翔(2021年よりザスパクサツ群馬に在籍)がいます。田部井悠が1年生時、4年生メンバーの先輩には相馬勇紀(後の2022年W杯日本代表)も所属していました。相馬勇紀からはオフに買い物に誘ってもらったり、スタバをおごってもらったりと個人的にも可愛がってもらっていたようです。また一学年上の先輩には山田晃士(2021年よりザスパクサツ群馬に在籍)も在籍しており、こちらはプロ入り後にザスパクサツ群馬で再びチームメートになります。同学年には田中雄大(早稲田大学卒業後ファジアーノ岡山に加入)など田部井悠含め4人のJリーガーがいます。田部井悠は高校時代と同様、早稲田大学でも副将を務めチームの中心メンバーとして奮闘し、4年生時最後のインカレでの活躍を評価される形でザスパクサツ群馬の加入が内定し、中学生時代からの念願だったプロサッカー選手の夢をつかみ取ります。

田部井悠のプレースタイルと強み

田部井悠のプレースタイルは「運動量豊富なサイドハーフ」であり、今後のザスパクサツ群馬での活躍の可能性を期待せずにはいられない選手の一人となっています。ザスパクサツ群馬はここ数年、スペース管理のバランスを重視した4-4-2システムをベースに戦術を組み立てています。松本大樹強化部長と現場の監督コーチ陣の間でのコンセンサスもとれており、大槻毅監督も4-4-2システムを採用します。このフォーメーションにおいて最もタフな運動量を求められ消耗が激しいポジションが両サイドのMFと言われています。そのため通常4-4-2を採用するチームでは、途中交代を前提にした両サイドMFの選手起用法を考えるケースも少なくありません。一方で2022年のザスパクサツ群馬は特に右サイドのMFポジションのメンバーをなかなか固定できず、本来ボランチの風間や奥村を起用したり、CFの高木を起用するなど、シーズン終盤に長倉選手が加入するまでは大槻監督も流動的な選手起用を避けられなかった印象です。つまり右サイドMFを主戦場とする田部井悠にとっては、まだまだこのポジションを掴み取るチャンスとポテンシャルは十分にあると言えるのではないでしょうか。2023年以降の田部井悠の活躍に期待が掛かりますね。

田部井悠の注目ポイント

田部井悠の注目すべきポイントは、生粋の群馬県民、地元選手であるということです。群馬県前橋市出身で前橋市立若宮小→高崎市立群馬中央中→前橋育英高と高校時代までを地元前橋で過ごし、早稲田大学の4年間を挟んでザスパクサツ群馬に加入しています。ユースチームからの昇格選手などが少ないザスパクサツ群馬トップチームにとっては貴重な地元出身選手として、ファンからの期待値は高まっています。

また、田部井悠に集まる期待の大きさの根源はやはり、前橋育英高校時代の活躍と実績によるところが大きいと考えられます。群馬県きっての名門高校である前橋育英高校サッカー部も実は、2016年までは全国高校サッカー選手権での優勝実績はありませんでした。2017年に前橋育英高校史上初の全国高校選手権優勝の悲願を達成するのですが、その快挙を成し遂げたチームを当時牽引していたのが双子の主将、田部井兄弟だったのです。

田部井悠には田部井涼(2022年シーズンは横浜FCに所属)という双子の弟がいます。二人はサッカーを始めた小学校3年生から高校3年生までの10年間、ずっと同じチームでプレーを続けてきました。非常に仲の良い兄弟で、自宅でもベッドを2つ置いた12畳の部屋を共有し、常にサッカーミーティングができる環境で切磋琢磨してきたと言います。前橋育英高校3年時には、弟の田部井涼が主将、兄の田部井悠が副将を務めます。周りからは「田部井ツインズ」と呼ばれ、ライバル校からも警戒されていました。ポジションは涼がボランチ、悠が右サイドハーフを務めることが多かったようです。そしてセットプレーのキッカーも、左利きの田部井涼と右利きの田部井悠で分担してFKやCKを蹴っていたと言います。双子の二人がFKのキッカーとして居並ぶ光景だけでも、観ていてワクワクしそうですね。

高校サッカーで日本一を経験した田部井ツインズは大学からは別のチームでプレイをすることになります。田部井悠は前述の通り早稲田大学へ進学後ザスパクサツ群馬へ加入、田部井涼は法政大学へ進学後横浜FCへ加入します。結果的に2017年に日本一に輝いた前橋育英高校53期生からは9名のプロサッカー選手(高校卒業後にJリーグ入りしたのが2名、田部井兄弟のように大学を経由してJリーグ入りしたのが7名)が誕生しました。このプロ選手9名という数字も、前橋育英高校サッカー部史上トップタイの記録(50期生も9名のプロ選手を輩出)とのことで、田部井兄弟率いる53期生のレベルの高さを証明していますね。ちなみに田部井悠は前橋育英高で101人目のプロサッカー選手とのこと。

高校時代の圧倒的な強さと輝きをプロの世界でも再現できるのか、そしていつかプロの世界で実現するかもしれない双子の兄弟対決にも思いを馳せつつ、スタジアムで田部井悠を応援しましょう!

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